げひらの草子

おむこんです。じわじわきてくれれば幸いです。ねえ聞いて、言葉は無限、だったらダジャレもきっと無限。(本文の内容とタイトルはあまり関係ないことが多いです)。『うたしりとり』は、「俺はググらない!」という鉄のルールがあります。故に力を貸してください。タイトル、うたしりとりの既出はブログ内検索(プロフィールの下の「記事を検索」)で調べられます。

omcon2008-04-13

こんばんは、おむこんです。昨日の夜から何度となく頭の中で長渕剛の♪西新宿の親父の唄♪が流れています。
そう、いつだって訃報は突然で悲しいものなんだけど、昨日の夜に不意に飛び込んできた、大学時代に四年間バイトとして雇って頂いていたお店のマスターが亡くなったという知らせ。ウチのオヤジよりもちょっと上くらいの年だったと思うのに。まだまだ若いのに。ガンに倒れたらしい。いまだに信じられない。
そのお店は中華メニューの多い居酒屋兼定食屋さんで、客層も広いし宴会もあるし、メニューは多いし中華油で顔はテッカテカになるしでなかなかキツい仕事で、バイト代はどこに行ってもネタにできるくらい安かったけど、バイトの後には腹一杯賄いを食べさせてくれたし、今思えばそちらの方がすごくありがたいことだった。
店はマスターとママさん夫婦と学生アルバイトで回っていて、マスターは昔はワルだったけど、いろんな店で苦労しながら料理人としての修行を積んで、自分のお店を出して徐々に大きくしてきた方で、昔は我が強くておっかない性格だったらしいけど、僕が入った頃にはだいぶ丸くなっていたらしく、新入り時代以外にあまり怒られた記憶はなく、よく閉店後のカウンターでマスターは大好きなビールのグラスを片手に武勇伝やら苦労話やら、いろいろ昔話を聞かせてくれた。白髪と笑顔とビールグラスが今も記憶に鮮明に残っている。よく賄いで食べさせてくれた“裏メニュー”の中華風カレーや冷やし中華、ザーサイチャーハンの味の記憶とともに。
本当に、「4年分いろいろ考える時間をもらった」と割り切って、4年で卒業することだけを考えて大学の門をくぐった僕にとってマスターは大学時代の誰よりもの恩師だったし、社会人としての基本たるべきことはマスターから無言でたくさん教わった。
卒業してからはさすがに足が遠のいてしまい、年賀状のやり取りくらいになってしまっていたが、それも、マスターはいつまでも元気であのお店の厨房に立っているだろうという勝手な決め付けがあったから。だからなおさら信じられないっていうのもあるんだけど、面と向かってハス嬢とうなを紹介できなくなってしまったのは寂しくてならない。
それと、僕も50才60才になったら、マスターみたいに人の心に暖かい光を灯せる笑顔ができるように励もうと思う。