げひらの草子

おむこんです。じわじわきてくれれば幸いです。ねえ聞いて、言葉は無限、だったらダジャレもきっと無限。(本文の内容とタイトルはあまり関係ないことが多いです)。『うたしりとり』は、「俺はググらない!」という鉄のルールがあります。故に力を貸してください。タイトル、うたしりとりの既出はブログ内検索(プロフィールの下の「記事を検索」)で調べられます。

 っと、ホントはサッカーの話だけで終わりたいとこなんだけど、またしても起こってしまった『それをやっちゃあおしまいでしょ…』という京都の事件。現在の報道をかじった限りでは、犯行が計画的であったっぽく、それが尚更の幼稚さを感じる、というか、きっと真面目な講師さんだったんだろうし、ここまで至ってしまった背景にはもっと複雑な何かがあったんだろうけど、結局そこにあったのは『自分の思い通りにならなかったから手をかけてしまった』という事実に他ならないと思う。もちろんあくまでテレビの前での勝手な視聴者の推測の域の中での勝手な話だが。
 それにしても、今の世の中、ものごとが(何もしなくても)大抵自分の思い通りになると思ってる人、多過ぎやしないだろうか。世の中のいわゆる“一流”の人たちは大体が相当量の練習・努力・苦労の上にその地位を築いていることを、そしてその陰にはそれと同じくらい、もしくはそれ以上の練習・努力・苦労にも関わらず、その“一流”というステージにたどり着けない人がたくさんいることを、見落としている、もしくは全く知らない人が多いのではなかろうかと。確かに天才は多少のアドバンテージを持って生まれてはきてると思うけど、その天賦の才だけで成り上がる人はほんのわずかだと思う。なんか何でも周囲が当然のように自分の思い通りに動いてくれる狭い世界の中で育ってしまった“子”が、その外の世界に出た時に、『世の中は自分の思い通りにならないことの方が多い』という事実を受け止め切れないことに起因している事件が多くなっているように思えてならない。その『残念ながら、人生には例えどんなに努力しても結果的に思い通りにならないことがある。でもその努力は必ずいずれ糧になる』ということは何よりも親が、教師が、社会が子供に教えてあげ
る必要性、それを、30人31脚に挑むひたむきな心に心打たれながら強く感じた。
 そんな日に、人生二度目のストパーをかけたのには、このひねくれてきた世の中に対する想い、というほどではないけれどね。