僕の青春を語るとき、マッキー抜きではとても話も始まらない。こういう言い方をすると、もし今僕に彼女がいたならきっと嫌な顔をするんだろうけど、今まで付き合った何人かの人、それぞれの人との間にはマキハラを介した思い出、大なり小なりのエピソードがある。高三の時に初めて彼女ができた時、ずっと有頂天で君は僕の宝物を聴き続けたし、明日の朝どちらが先に目を覚ますかランチを賭けたり、些細な事でケンカして僕の部屋を飛び出した彼女を必死で探し、『愛を勘違いしないでください』って心で諭されたり、『うん』という言葉をすごく大事にしたり、世界の終わりみたいな顔して(辛く切ない)キスをしたこともある。なんと言っても風景、情景を絶妙な言葉で断面を切り取るうまさ。それに惚れ込み惚れ込み、周辺にも同様のマキハラジャンキー(?)が多かったこともあって、僕の手元のマキハラのアルバムはどんどん枚数を増やし、車のCDチェンジャーには欠かせないアーティストだった。
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確かに今世界で語り継がれている芸術・文化の中にもドラッグの力を借りて、あるいは借りざるを得なかったものが多くあるのも現実で、確かにスポーツのドーピングとは違ってみな同一のフェアな条件で作らねばならないものではないっていう理屈も自分の中にはある。でもこの国では禁じられているものであり、禁じられている以上は使っても頼ってもいかんと思うのだよね。もしもどうしても頼らねばならないのであれば、そのドラッグが合法である国か地域に住んでそこで作品を作って日本に向けて配信していけばいいと思う。今の時代はそういうことだって出来るのだから、弱さから頼るにしても、そのくらいの覚悟で向き合ってもらわないと。ね。
でもマキハラはそうした弱さ、葛藤と戦って、たぶん乗り越えたんだと思う。あの事件以来、ものすごく思い入れが強かった分、素直に事件前のような愛着はもてなかったのだが、それでもリリースしたアルバムは買い続けた。事件直後の『太陽』というアルバムはすごく力の抜けたやさしいアルバムで、きっと解き放たれたんだな、とすごく感じた。
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