げひらの草子

おむこんです。じわじわきてくれれば幸いです。ねえ聞いて、言葉は無限、だったらダジャレもきっと無限。(本文の内容とタイトルはあまり関係ないことが多いです)。『うたしりとり』は、「俺はググらない!」という鉄のルールがあります。故に力を貸してください。タイトル、うたしりとりの既出はブログ内検索(プロフィールの下の「記事を検索」)で調べられます。

しかし、本当に史上稀に見る悲惨な鉄道事故になってしまった尼崎の福知山線脱線事故だが、日を経て色々な側面からの報道がなされてくるにつけ、事故が奪ってしまった沢山の人生を思うにつけ、ただやるせない。本当に心からの祈りを捧げたいと思う。
そしてまた車両を運行していたJR側に対するいろんな側面からの報道を見ていると、どうも人災の可能性が日に日に大きくなってきているように感じる。
例えば過去に何度も処分を受けている、しかも経験のまだ深くない運転手に500人余りの人命を預らせたJR西日本の責は問われてしかるべきだと思うし、またその“処分”の度にともすれば“いじめ”に近い空気で行われていたという、再教育プログラムのことも問題になるだろう。
しかし、もしかしたら運転手に、そうしたペナルティへの恐怖から速度超過に走らせたとしたのなら、そこまで追い詰めてしまったJR西日本は、なぜそこまで追い詰めなくてはならなくなったのだろうか?
世界の数ある鉄道の中でも日本の鉄道の運行時刻の正確さの右に出る者はいないと聞く。相当な本数の列車を走らせながら、なおそれだけの運行水準が保たれている日本。しかしそれだけ運行に携わる人たちには厳しいものが課せられているわけで、その背景には、例えば数分の遅れが生じた時に鳴る苦情電話があるのかもしれないし。
もちろん正確であるにこしたことはないけど、そこまでして、正確であることを至上に据えることは必要なのだろうか?そういうことも、国民みんなで考えてみる必要があると思うよ。