しかし、午前中にラジオで流れてきたニュースに我が耳を疑い、帰宅して見たニュースの映像に我が目を疑ったJR福知山線の脱線事故。信じ切っていたものに裏切られた乗客の皆さんの心痛や、犠牲になられた方、負傷された方のことを思うとなんともやるせなく、僕にはただ祈りを捧げることしかできない。
しかし、あの現場の惨状を見るにつけ、普段我々が安易に付き合っている交通手段というものは一歩間違えると凶器になるのだという事実が胸にささる。この事故はきっといくつもの偶然が重なって生まれてしまった特殊な状況の中で起こってしまったのだろうが、この事故によって、我々がいつも知らずに背負っているリスクの存在がはからずも浮き彫りになってしまったことを強く感じる。
もちろんJR側にはこれから沢山の労力と手間をかけて原因を徹底的に究明して再発防止に努めてもらう必要があるけれど、皆が利便性だけをひたすら追い求めてきた、いわば利便性至上主義も考え直す時なのではないかとも思う。ホームで待つ人々のイライラを少しでもなくすために緻密に緻密にダイヤが組まれ、車両はスピードアップのために軽量化され、安全性が下がる。人間が片手に便利さを手にする毎に、同時にもう片手にはリスクを持たされてしまうという事実と向き合ってみる必要を強く感じるのです。